吃音のあるぼくは、だから「キツオン」ということばが言えない

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ぼくたち吃音者(ぼくはどもりと言ってきたけど)たちにとって、今年はちょっと勇気づけられるできごとがありました。そう、新しいアメリカ合衆国大統領に、吃音者のジョー・バイデンが就任したことです。ジョーはもう克服したとのことで、いまは症状がほとんど出ないみたいですけど。

歌手・音楽家のなかにも吃音者はけっこういて、ちょっと思いつくだけでもたとえばエルヴィス・プレスリー、ジョン・リー・フッカー、B. B. キング、スキャットマン・ジョン、カーリー・サイモン、ノエル・ギャラガー、ビル・ウィザーズ、などなど。日本の芸能者のなかにもたくさんいます。

書き文字と写真でやるこういったブログとかSNSとかで、吃音当事者がその症状や苦しみ、悩みを説明するのはなかなかむずかしいし、子どものころ症状が強くても成長するにつれだんだんと出なくなっていくというケースもあり、また場面によって出たり出なかったりもするので、吃音のない健常なみなさんにはわかっていただきにくいものだなあという実感がぼくにもあります。

21世紀の現在は吃音に対する一般社会の理解もだいぶ進んできているように思うんで、説明すれば(しなくても)不審がられたりすることも少なくなったんですが、1962年生まれのぼくが子どもだったころは、吃音者であることでそりゃあもう壮絶ないじめに遭いました。特にいちばん強く症状が出ていてしかも集団社会に入ったばかりという小学生のころがひどかった。

特に朝の集団登校のときですね、学校まで歩いて行くあいだ上級生のみんなにからかわれて笑われて、うしろからランドセルをバン!と上下に揺さぶられたり、ほんとうにイヤでした。つらかった。教室に入るとクラスメイトばかりだからそうでもなかったんですけど、そんなこともあってぼくは学校嫌い(正確には集団登校嫌い)になって、朝、行きたくないと思うようになりました。

不登校にはならなかったけど、放課後はだれとも遊ばず(だって吃音で笑われてイヤな思いをするから)一目散に自宅へ帰り部屋にこもって本ばかり読むような、そんな小学生になりました。おかげで本好き、読書好きになり、学校の勉強もよくやったのでテストの成績はよくて。

それが高じて、とうとう大学で研究する学者になりましたけど、大学に勤務する学者って、教師でもあるわけです。教壇に立って学生の前でしゃべらないといけない仕事なわけでして、あぁ、なんという皮肉でしょう、みんなとしゃべりたくない吃音者だから本の虫になったのに、その挙げ句の果てに人前でしゃべる職業に就いてしまうとは。

でも、ほかの吃音者のみなさんの話を聞いていると、多くのかたが人前に出るのは遠慮してしまう、対面の人間関係には引っ込み思案である、なるべく出ないようにしている、とおっしゃるんですけど、強い吃音持ちであったにもかかわらず、ぼくにはそれがなく、成長してからはわりと社交的な性格っていうか、どんどん人前に出ていって先頭に立ってしゃべりまくるというタイプになりました。どもりながらね。

どもりだけど、ぼくはいわゆるおしゃべりなんですよ。

吃音の症状は連発、難発、伸発の三つがティピカルで、症状がいちばんひどかった小学生のころのぼくは連発が多かったです。でも最近は連発がほぼ消えて、主に難発が出るようになっていますね。しゃべりはじめの文頭の音が出にくいことがあるんです。格段出にくい音というのがいくつかあって、ぼくのばあいはカ行、タ行がかなりむずかしいです。

だから「キツオン」ということばが文頭にあるとなかなか言えないわけです。「どもり」という表現が差別的だというので(その感覚は当事者であるぼくにはない)、吃音というのがおおやけの場では使われるようになったのに、配慮して言い換えができた結果、その言い換えた用語をその症状ゆえに発音できないっていう、これまたなんとも皮肉な話です。ア行とかマ行とかなら言いやすいんだけどなぁ。

タ行も出にくいっていうことは、ぼくは「戸嶋」っていう自分の名前も、難発でなかなか言えないんですよね。これは社会生活を営む上でかなりな困難となってしまいます。対面ではじめての相手になかなか自分の名前が言えないと困るし不思議に思われるし、電話なんかだと必ず最初に名前を言うでしょう、それができにくいんですから。すっと出ることもあるんですよ。

すっと出ることもあるといっても、吃音者(全人口の約0.8%程度らしい)じゃない健常なみなさんはそんなこと考えてみたことすらもないであろう、スムースに音が出ないなんてこともないだろうし、それで困難を感じて悩んだり落ち込んだり、しないであろう、想像したことすらもないはずだ、と思うと、ぼくら吃音者はどういう星のもとに生まれついたのかと、ため息が出ますね。

でもジョー・バイデン大統領とか、それからこのかたは直接対面で話を聞いたことのある愛媛県出身の作家、大江健三郎さんとか、しゃべりが仕事の落語家のなかにも吃音者はたくさんいるし、そうやって社会で活躍されているかたがたの姿を見てぼくも勇気づけられ、どんどん出ていこう、率先してしゃべりかけよう、話しかけようという気持ちになれるので、やっぱり社会的ロール・モデルの果たす役割は大きいですね。

むろん、そうでなくとも、(上で書きましたように)大人になってからのぼくはどんどん人前に出ていって目立ちたがる、遠慮せずどんどんしゃべるっていう性格の人間になったもんで、吃音を笑われたり(することはだいぶ減ったけど)不審がられたりしても気にしないで自分を出していくといったタイプ。吃音で音声会話に困難を感じたり誤解されることは、いまでもやっぱり多いけど、それでも(ふだんは)それをあまりハンデに感じないで生きておりますね。

(written 2021.3.14)

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hisashi toshima 戸嶋 久
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Written by hisashi toshima 戸嶋 久

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