レコードやCDの貸し借り、ダビングなどもいまはむかし
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になったなあと個人的には思うんですね。すべてはデジタル技術とインターネットの普及のおかげです。物体でやりとりしなくたって電子ファイルの送受信で用が足りるでしょうからね。ばあいによってはファイルの送受信すら必要なくて、音楽のストリーミング・サービスみたいにあっちのサーヴァーにあるものをそのまま流してこっちのディヴァイスで聴くだけっていうような世界が一般的になりつつある、というか、もうすでになっているんじゃないですか。
このへん、一部のみなさん(ってぼくもちょっとそうなんですけど)はまだまだ抵抗があるところかもしれないですね。レコードとかCDとかのフィジカルじゃないと音楽を「入手」したという気にならないという向きが大勢いらっしゃるかもと思うんですけど、そもそも(物体ではなく)「音楽を入手する」ってどういうことなんだ?それはあなたのものになるものなのか、物体じゃなく音楽が、とか根源的な疑問を抱くこともあります。
それはともかく、ネット配信ではいまだ聴けない、解禁されていないものはCDとかで聴くしかないわけですけど、問題はその貸し借りですよね。上で掲げた写真のように大手レンタル・ショップなんかでもそこを狙って商売していたりしますけど、借りたとして、それで聴くというよりもパソコンにリッピングしてファイルで聴くみたいなことのほうが多いんじゃないかという気がします。返却したあとそれをCD-Rに焼くとしても、それはパソコン内のデジタル・ファイルだったものですから。
さらにもう一段、他人にすすめたいというときでも、焼いたCD-Rを渡すとか送るとかいうよりも、電子ファイルになっているものをメールかSNSのメッセージなんかに添付して送信するとか、ファイル共有サイトにアップロードしておいてダウンロードしてもらうとか流してもらうとか、そういった方法のほうが一般的になってきているのは間違いありません。
そもそも(CDを発売するような)プロの音楽家同士だって、いまやコロナ禍でスタジオに集結していっしょに音を出すというのを遠慮しなくちゃいけないという状況ですから、まずだれかがつくって録音した音源ファイルを電子的に送信して、それを聴いてもらって仲間がリモートでそれに音を足すなどして送り返すとか、いまや音楽の新作だってそんな方法でプロデュースされるようになっていると思うんですね。
で、最後までその方法で一度も物体化なんかはせず(楽器演奏は物体操作だけど)、完成したものをマーケットに流通させる最終段階になって、はじめてCDを作るということになっているだけなのかもしれません。近年、アラブのロターナなんかもそうですけど、そもそも物体化すらもしない、したくない、コストがかさむだけで買う人間も減っているんだし、デジタル・ダウンロードかストリーミングで十分という考えのレコード会社、音楽家だって増えているなとみえています。
音楽のフィジカル・マーケットは、たぶん日本が世界で最大かつ唯一に近いガラパゴス島に違いなく、もはや世界の主流からは取り残されつつあるなと実感することしきり。ストリーミングとかダウンロードでちゃんと聴けるのに、フィジカル化されていないと話題にすらしないとか、なんだかちょっとう〜〜ん…、とぼくは感じておりますね。
そりゃ30〜40年くらい前のむかしはですね、友人同士で「このレコードいいんだぜ、ちょっと聴かせたい」と思ったら、自宅に来てもらうか持っていくか、貸すか、カセットテープなどにダビングして渡すとか、それ以外に方法がなかったし、CD時代になっても事情は似たようなもので、やはり来てもらうか行くか物体でしかやりとりできませんでした。ほかに手段がなかったんですからね。貸し借り、(テープやMD、CD-Rなどへの)ダビングなどさかんでしたよね。
でも時代は変わったんです。いつまでも数十年前の方法に固執して、それじゃなくちゃダメなんだ、音楽を聴いたということにならないんだとか、そういうふうに考える必要もなくなったように思うんですけどね。テクノロジーの進展で、新しい時代には新しいやりかたができてきて一般化しますから、なんでも。それで便利になっていくんであって、その反面失われるものだってあるでしょうけれどもね。
(written 2020.8.24)