チック・コリアが死んじゃった

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ジャズ・ピアニストのチック・コリアが2021年2月9日亡くなりました。79歳。ガンだったそうです。日本時間の12日早朝、チックの公式Facebookで発表されました。

ぼくが第一報に接したのは12日の朝七時ごろ起きてiPhoneの通知を見たときに出ていた一通のメールによってです。「Chick Corea RIP」と件名だけあって、驚いて、本文を開けてもソースが書いていなかったから、このときは半信半疑だったんですね。

その後Twitterを開いてタイムラインを読んでいくうち、大勢のミュージシャンたちがチックの死を悼むツイートをしていたし、公式Facebook投稿のリンクを貼るひともいたし、信頼できるジャーナリズムやレコード・レーベルの公式アカウントなんかもどんどん言っていましたから、信じられなかったけど本当のことなんだと知りました。

きょうはすべてのことがふっとんでしまいましたねえ。

ぼくのような世代のジャズ・ファンにとってチックが死ぬということは、たぶんちょうど一世代上のみなさんにとってビートルズのメンバーが死ぬというのと同じくらいの強いショックなわけなんですよ。

大勢のジャズ・ファンにとってのチックは、たぶんリターン・トゥ・フォーエヴァー(1972〜)やそれ以後の活動で認知されているんじゃないかと思います。裏RTFみたいだったスタン・ゲッツの『キャプテン・マーヴェル』(1974)も実質チックのリーダー・アルバムで、傑作として忘れがたく刻まれています。「ラ・フィエスタ」はこっちのほうがすごいでしょう。

また、ECMにゲイリー・バートンとのデュオで残した一連のアルバムもたいへん強く印象に残るもので、なかでも特に1979年のライヴ・アルバムである『イン・コンサート、チューリッヒ、オクトーバー、28、1979』は名曲名演揃いの超傑作でしたよねえ。いまだによく聴きます。チックの生涯ベスト・ライヴでしょう。

1991年に来日してのマウント・フジ・ジャズ・フェスティヴァルで、ゴンサロ・ルバルカバとのピアノ・デュオでやった「スペイン」も大名演で、忘れがたいものでした。ぼくはこれ、現場で聴いたんですよねえ。

個人的な愛聴作は1968年の『ナウ・ヒー・シングズ、ナウ・ヒー・ソブズ』で、なかでも1曲目の「ステップス ー ワット・ワズ」と2曲目の、なんとこれがブルーズの「マトリックス」なんかは、もうなんかい聴いたかわかりません。オリジナルはブルー・ノートじゃなくソリッド・ステートというレーベルからのアルバムでした。

しかしマイルズ・デイヴィス狂であるぼくにとってのチックとは、1968〜70年にマイルズ・バンドのレギュラー・メンバーとして、過激にガンガンとフェンダー・ローズを叩きまくる人物とのイメージが強いんですね。リターン・トゥ・フォーエヴァーやそれ以後の、整って美しく情緒的な鍵盤タッチを知っていると、まるで別人としか思えないとんがってひずんだ、先鋭的で抽象的な演奏を、チックはマイルズ・バンドで聴かせてくれていました。

チックがマイルズ・バンドで残したスタジオ・アルバムは三つしかありません。『キリマンジャロの娘』(1968)の一部、『イン・ア・サイレント・ウェイ』(69)、『ビッチズ・ブルー』(70)。『オン・ザ・コーナー』(72)でもクレジットされていますが、いるのかいないのかわからない程度かも。

しかしマイルズ・バンドでのチックの本領発揮は、ライヴでの姿にありました。特に通称ロスト・クインテットと言われる1969年バンド(マイルズ、ウェイン・ショーター、チック・コリア、デイヴ・ホランド、ジャック・ディジョネット)のライヴでの過激でフリー・ジャズな表現はすさまじいものがあって、それを牽引していたのがチックのフェンダー・ローズだったんですね。

ロスト・クインテットの1969年ライヴはほとんど公式リリースされていなくて、ぼくもだいぶブートレグのお世話になりましたけど、コロンビア/レガシーはほんとなにしてるの?という気持ちがいまだ強いです。Spotifyでさがしてもマトモなのはこれくらいしかないので、それを紹介します。

チックがマイルズ・バンドで活躍した1968〜70年というと、マイルズの音楽が最もラディカルに、最も大きく、変貌した時期。激動の新時代のニュー・ミュージックに取り組み成果をあげるボスにとって、チックはいちばん信頼できるパートナーであったわけで、『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』といった時代を代表する名作でも、大所帯メンバーの軸になってキューを出していたのはチックだったんです。

いつまで経ってもマイルズ・バンド時代のイメージを持ち続けているぼくは、チックのいい聴き手じゃなかったかもしれません。でもあのころの、特に1969年の、ああいった一連のフェンダー・ローズ演奏は、時代を超えたひじょうに強い磁力をいまでも発揮し続けているに違いありません。マイルズがメンターでしたけど、チックがマイルズ・ミュージックにもたらしたものもまた大きかったのです。チックがいなかったら、世紀の名作『ビッチズ・ブルー』も誕生しなかったのですから。

(written 2021.2.12)

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hisashi toshima 戸嶋 久
hisashi toshima 戸嶋 久

Written by hisashi toshima 戸嶋 久

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