ぼくも生活保護をもらっていた
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このまえ、生活保護の制度を知らなかったことにより(経済的に極度に困窮した)親子間の殺人事件が起きました。これは極端にしても、生活保護についての無知、無理解、偏見、差別によって、この福祉制度の利用を強くためらったあげくひどい貧困に悩み追い込まれる例ならほんとうにたくさんあります。
そんなニュースに接するたびに心が痛み、たいへんつらいので、生活保護の制度はだれでも申請できて、後ろめたいものなんかじゃない、国民が行使できる正当な制度、権利であるということを、自分の体験を書き記すことにより、再確認したいと思います。
そう、つまりこのぼくも生活保護をもらっていた時期があります。はじめて言うんですけれど、えっ?と感じるかたも大勢いらっしゃるかもしれません。恥ずかしいことで、隠さなくちゃいけない事実だ、それをおおっぴらに言うんなんて…と。
実際、受給当時、親や兄弟からは「絶対にひとに言うな」と強く止められていましたけど、おかしいですよねえ。正当な権利を行使しているだけなのに。公的社会福祉の考えが日本には根付いていないのだと思います。
ぼくが生活保護をもらっていたのは2012年初春から2017年初秋までの約六年半以上。東京で勤めていた大学をクビになり二年が経った2011年3月末で故郷の松山に戻ってきたところまでは以前お話しました。
松山の実家で暮らしながら、やっぱり働かなくちゃということで職を探したんですけれど、学校の英語教師しかやったことのないぼくの就ける仕事が見つかったのは二ヶ月後の大州でのこと。大州(おおず)とは松山からJRの特急で30分程度の町です。
それで六月頭に大洲に引っ越して、そこでまた一人暮らしをしながら中高一貫校の英語教師として仕事をはじめたんですけど、これも長続きしなくてですね。いきさつは省略しますが、半年だけ勤めた2011年11月いっぱいでやはりクビに。とことん仕事には向いていない人間だと思い知りました。
さて、ここから2021年現在まで無職生活が続いているわけですが、なんとかしないといけない、食べていかないと、というわけで、調べて、生活保護という制度があることを知りましたので、これをためらわずさっそく大洲市役所に申請することにしました。
この段階で、世間の多くのみなさんが躊躇したり迷ったりするというのがなぜなのか、困窮しても申請しない例が多いというニュースを見ますが、どうしてなのか?正直言って理解不可能です。
ぼくが生活保護を申請しようと思った2011年12月というと、ちょうど民主党(当時)政権だったのもラッキーに作用したかなという気がいまではします。全国ネットの地上波テレビ番組なんかでもこういう制度があるんだよというのを肯定的にとりあげたりするものがありましたから。
自民公明政権に戻って以後は、ご存知のとおり生活保護制度や受給者に対する風当たりはとても強くなり、世間一般の勤労者のみなさんが受給者を白い目で見たりするばかりでなく、そもそも行政側だってなるべく支給しないように支給しないようにと腐心しているフシすら見受けられますからね。支給額だってちょっぴり減らされました。
世のなかには自分でしっかり働くことができず、ほんとうに生活に困り果てている人間がかなり大勢いて、各々それぞれ理由、事情があります。それを政治が救わなかったらどうすんだ?と、強い憤りを感じたりしますが、ともあれ生活保護制度が自公政権下でも消滅したわけじゃありません。どんどん申請してほしいなと思います。政府や地方自治体にはもっと制度の周知に努めてほしいです。
これはあれです、働かずに100%税金で食べていくということに後ろめたさを感じないのか?みたいな批判の声を耳にしたりもしますけれど、じゃあ、あなた、病院やクリニックや処方箋薬局で三割しか支払っていないでしょうと。七割は税金でまかなっているじゃないですかと。
だから、そんな自己責任論みたいなことをふりかざすのであれば、健康保険も解約して、医療費を全額自費負担したらどうですか?それはイヤなんでしょ。公的健康保険制度を使うことにはだれひとりとして疑問を感じていないはず。老齢年金だってそうでしょう。
生活保護制度は、健康保険や年金と同じ、マトモな福祉制度の一つであるにすぎず、だから利用者がためらったり、みんなから白眼視されたりするものじゃないです。自分にお金がたっぷりあって、医療費全額自己負担でも年金なしでも困らないというひとは、それでいいじゃないですか。大多数のみんなはそれらの制度がないとやっていけないんで、困ったときの生活保護もその一環です。
そういうふうに社会福祉制度についてずっと考えてきた人間なので、2011年11月末で完全に職を失い、働いて収入を得ることはぼくにはムリだと観念した時点で、生活保護をためらわずに申請したという次第です。ひとりで。
大洲市役所に連絡して生活保護を申請したいと言うと、預金通帳と財布などを持ってまず窓口に来てほしいということで、行きました。しかし働いていた時分の預金がまだ少額残っていました。全財産が四万円程度になったらもう一回連絡し来てほしいということになり、時間の問題だったので翌2012年の二月に出直しました。持ち金ゼロになったらヤバいんで若干早めに相談したんですけどね。
それで申請がまずまずすんなり通ったわけですが、ほかに口座はないか、クレジット・カードは持っていないか、生命保険に入っていないか、クルマを持っていないか、貴金属類は、などなど、根掘り葉掘りほじくりかえされたのはちょっと不愉快でした。でも生活や財産状況を洗いざらい調べないと申請じたいができないということだったので。扶養照会もちょっとイヤでした。
支給が決まってお金をもらったのは申請が受理されてから数週間が経過してからです。ここはもうちょっと迅速に進めてほしかったという思いが当時はありました。だって、残金がきわめて乏しくなってからじゃないと申請できないのに(大洲市だけ?)受給決定までに時間がかかるようだと、お役所仕事だからやむをえないとはいえ、そのあいだどうやって食べていくんですかね?餓死してからでは遅いんですけど。
当時の大洲市の生活保護費は一ヶ月八万八千円(大都市部だともっと高額のはず)。これに冬季は暖房費が加算されていましたが、それだけの金額で家賃も光熱費も食費も、要するになにもかもぜんぶまかなわなくてはなりません。医療費だけは、生活保護受給者のばあい市役所が全額支払い自己負担はゼロになるので(健康保険証はとりあげられる)助かりました。
一ヶ月八万八千円、それで生きていかなくちゃならないのはちょっとしんどいなと思ったか思わなかったか、自分のことですらあまり真剣に考え込まない性分ですから、なんとかなるさくらいの軽い気持ちでいて、実際、なんとかなりました。かなり切り詰めないとでしたけど、それでも(サブスク普及前だったので)エル・スールやアマゾンでCDとか買っていましたからどうやってやりくりしていたのか、ちょっと不思議ですよねえ。
そうこうするうち、2014年の夏に父が亡くなり、九月に遺産を手にすることになったのです。けっこう大きな額を父は遺していて、法定相続に則って配偶者である母が五割、残り五割をぼくら子三人が三分割で相続しました。
しかしこのとき、ぼく名義の銀行口座にその決定額が振り込まれはしたものの、ぼくは生活保護受給中の身であるということで、自由に使うことを許されませんでした。これは悔しかった。市役所がそうしたのではなく、母と弟がそれを決めたのです。必要なときは言えばその額を送るからガマンしろと。
しかし大きな額がぼく名義で存在しているという事実は変わりありませんので、ぼくはちょこちょこ連絡しては毎回一定額を振り込んでもらっていたのです。それがあまりにも連続するというので、管理人であった上の弟もとうとうイヤになり、もう通帳とカードと印鑑を渡すから自由にしろや、となったのが2018年晩夏のことです。
そしてその前2017年の初秋にぼくは市役所に連絡して生活保護をやめています。理由はただ一つ、母と弟たちからの強いリクエストがあったこと。一つには、2014年9月以来ぼくが毎月のようにちょこちょこ父の遺産相続分から振り込んでもらっているのは生活保護制度に違反しているわけで違法行為ですから、もし市役所にバレたらやばいとヒヤヒヤして夜も寝られないと言われました。
一族から犯罪者が出ると町で生きていけないのである、みたいなことを言われましたが、要するにそれは「世間体」ということでしょう。アホらしいことだなと心底思います。もしぼくが犯罪者となれば自分一人が責任を取ればいいのであって、親や兄弟は関係ないだろうと。
しかしシブシブこの「世間体」理論に従うことにしたのです。+世間体みたいなことは、上の弟から、身内に生活保護受給者がいると子どもが結婚する際の障害になるかもしれないということまで言われました。ぼくはこの手の発想がまったく理解できない人間なんですけど、だけど、ほんとうに甥や姪が困ったりするのならつらいかもなと感じたのは事実です。
そんなわけで生活保護をもらうのをやめ、その後は相続した父の遺産から毎月10万円を振り込んでいくというやりかたにしようと2017年秋になったわけですが、上で書きましたように2018年晩夏にとうとうシビレを切らした管理人の上の弟が遺産全額をぼくの自由にさせると決め、その後しばらくはそれで気ままに生活していました。
それも使い切ってから現在までのことは、生活保護の話となんの関係もありませんので、きょうはやめておきます。とにかく、当時住んでいた大洲市から毎月八万八千円の生活保護費をもらって生きていた時期(2012〜17)、ぼく自身はそんな不自由に感じることなく、世間からの強い風当たりにも直面もせず、ノンキにのんびり生きていました。毎月たったの九万円弱で貧乏でしたけれども、さほど(精神的には)困らなかった。自由でした。
大州での居所の家賃がいくらだったか?など、詳細は省略してあります。ともあれ、仕事ができなくなったとか、あるいは働いていても収入がごくわずかであったりなど、生活に困窮すればだれでも自由に申請できる生活保護の制度、どうか世間の目を気にすることなく(気にしないのはぼくが特殊?)利用してほしいなと思います。
日本国憲法で保障された正当な権利なんですから。後ろめたいことなんてぜんぜんありません。堂々としていればいいです。それこそ医者や薬局で七割は税金が払うのに抵抗がないのと同じくらい堂々と。七年近く受給者だったぼくはそう思います。
(written 2021.11.6)