ぼくのコンピューター使用歴

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はじめてコンピューターというものに接したのは、1981年、大学二年のときでした。

通っていた愛媛大学の一般教養課程カリキュラムは、たしか文系・理系ムラなく幅広く学んでもらいたいということで三種類というか三系統の必修科目が設定されていて、どの系統からも選んで何単位か取得するように義務づけられていたんですけど、だからぼくは英文学科だったのに物理の講義とかにも出ていました。

そんな理系の必修科目のなかに「情報なんとか」っていうのがあって、コンピューターに触れることができるっていうんで、これは物理と違って(いや物理も好きだったけど)喜んで進んで学びました。1981年当時、コンピューターに接している一般の19歳なんてまだすくなかったですからね。

学んだ内容は100%近く忘れてしまいましたが、とにかくFortran(フォートラン)というコンピューター言語とそのプログラミングと、パンチ・カードを使っての実際の操作も学びました。コンピューター・ハードウェア(機械)は教室とかその教授の研究室にあったのではなく、かなりサイズの大きなものが大学のそれ専用部屋にあって、全学的に使われていたはずで、予約してその部屋まで行かなくてはなりませんでした。一つの部屋全体がコンピューターで占有されていて、専門の技師みたいなひとが常駐していました。

熱心に学んだのでちょっと仲良くなった教授の研究室には、サイズのあまり大きくないパーソナル・ユースのコンピューターも置いてあって、その記憶装置がカセットテープだったんですね。カセットといえば、その1981年当時ぼくは音楽レコードをかたっぱしからダビングするのに頻用していたわけですが、コンピューターの外部記憶も音声データを使っていたんです、1981年当時。

ぼくが個人で使うコンピューターのたぐいを買って自室に置いて使うようになったのは、東京都立大学大学院に進学して三年目の博士課程一年目でしたから、1986年です。コンピューターといっても当時流行りはじめたばかりのワープロ専用機でしたが、あれはコンピューターですからね。

もちろん文書書き・編集・印刷しかできないマシンなので(のちになって種々の機能も付属するようにはなりましたが)、あれをいわゆる「コンピューター」だと意識して使っているひとは多くなかったんじゃないでしょうか。でもワード・プロセッサー機能に特化したコンピューターだったんですよ。

ぼくが1986年に買ったワープロ機は富士通のオアシス・ライトで、どうして富士通のにしたかというと、当時父親が勤務していた消防署の通信指令室に納入しているコンピューターが富士通社製で、出入りしている業者に頼めば同社のを割引価格で買えるとなったからでした。

ワープロ機とか(コンピューターとか)いっても、いまの若い世代には信じてもらえないでしょうけど、ぼくが買った一台目は、文字を表示するディスプレイが、なんと!たったの8文字分だけだったんですよ!極小の覗き窓みたいなもんで、使っていてかなりもどかしかったですが、当時はこれしか知らないからこんなもんかなと。不便でしたけど不思議とは感じなかったです。

博士課程の二年間をそれで過ごし、論文もそれで執筆し、二年目が終わって三年目に入る前に研究室の助手に採用されましたから(大学院は中退)給料がもらえるようになって、それでしばらく経って同じ富士通の(にしたのはキーボードに慣れていたから)もっと大型の、ディスプレイも紙で言えば一枚分くらい表示されるデスクトップ型のワープロ機を買いました。

デスクトップ型ということは据え置いて、その場所にすわって使うものですから、それでもたいへん便利に愛用していたんですけど、テーブルの上で軽便に移動させられるマシンもほしいぞと思って、ノート型のワープロ機もちょっと経ってから買い増しましたね。

同じ富士通製オアシスですから、一枚のフロッピー・ディスクを二台で使いまわせるということで、普段はテーブルの上に置いたノート型マシンで書いて、その文書内容を保存したフロッピーをデスクトップ型オアシスに入れて続きを作業するとか、その逆とか、そんな感じでしたかね。

ぼくが都立大英文学研究室の助手だったのは1988年4月〜1991年3月までの三年間。その三年間がそれら二台の富士通製ワープロ機とともにありました。研究室ではまた違った複数のメーカーの(NECのとかカシオのとかだったような、忘れた)ワープロ・マシンを仕事用に使っていたんですけど。

助手だったそのころ、つまり1980年代末から、本業の延長線で商業媒体に英文学関係の文章や翻訳を書いて売るという仕事をしはじめたんですけれども、当時電子入稿はおろかフロッピーで提出なんてこともはじまっていませんでしたし、まだ原稿用紙に手書きしたものを封筒に入れて郵便局に持っていっていましたね。

だいたい、文書を保存したフロッピーだってワープロ機のメーカーが異なると読めないという時代でしたから、フロッピー入稿なんてのは現実的じゃなかったんです。出版社内のDTP化だってまだ進んでいなかったはず。それがはじまるのはパソコンが一般化してテキスト・ファイル形式(.txt)がメーカーや機種を超えた汎用フォーマットとして普及してからです。その後は現在の電子入稿まで一直線。

そんな、いまでいういわゆるパソコン(パーソナル・コンピューター)をぼくが買ったのは、國學院大學に就職して五年目の1995年夏のことです。ずっと富士通製のワープロ機を使ってきていた身としては、パソコンも富士通製のにしようかなとちょっと思ったんですけれども、91年に結婚していたパートナーの進言でApple社製のMacintoshになったわけなんです。義父(中学の理科教師)がMacユーザーで、実家へ遊びにいくとSE/30が置いてあったりなどしました。

最初に買ったMacはPerforma5210という入門者用のデスクトップ・マシンで、自宅に届いて使いはじめたらもうまるで夢心地でしたねえ。こんなにも楽しい世界があるのかと。以前からなんどか書いていますけど、パソコンを買ったのに文書作成とかの目的はゼロで(それはワープロ機で事足りている気分でした)、ネットをやりたいがためでした。

だから夫婦で新宿のソフマップにそれを買いに行ったとき、最初から同時にモデムも買いました。当時はまだ外付けでしたから。それで、このことははじめて言うんですけど、なぜ1995年にパソコンを買おうと思ったかというと、実はパートナーの事情でした。そう、最初の一台は夫婦で兼用だったんですね。

当時ちょうど就職活動中だったパートナーは、応募する各大学へ提出する履歴書に「パソコン通信なんかも得意です」などと、やったこともないのに、パソコンを持ってすらもいないのに、書いていたそうです。事後にどうしよう?書いて出しちゃった!と相談されて、じゃあ早くパソコン買ってはじめておかなくちゃ!となったわけですよ。

そんなわけでパートナーもぼくも、ハナからパソコン通信をやりたいという目的でMacを買ったわけです。いざ買って使いはじめてみたら、履歴書で豪語したパートナーではなくぼくのほうがネットにハマってしまって、ズブズブのネット中毒患者になってしまい、だってねえ、音楽系フォーラムとかチョ〜楽しすぎてですね、寝ても覚めてもそのことしか考えられないっていう、そんな生活になりました。

そうなった1995年夏からは、2020年の現在まで本質的にあまり変わらない生活が続いておりますが、なんて使いやすいんだろうと、その後職場でWindows機も触るようになったぼくはMacについてそう感じるようになり、私生活ではMacしかぞ使わないと誓い、95年末にノート型のPowerBook5300、98年に名機(とのちに言われるようになった)PowerBook2400cを買いました。

そのころ、まだネットは普及しはじめたばかりで、ブロードバンドの常時接続回線が各家庭に普及するようになったのはたぶん21世紀に入ってからの話ですから、まだまだネット中毒患者なんかはすくなかったかもしれないですね。

PowerBook2400cがとにかく使いやすくて溺愛していたぼくは、これが完全にオシャカになるまでトコトン使い倒し、内部CPUをG3化までしていたんですけど、とうとうダメになってやむなくiBookG3を2006年に買ったんですね(クラムシェルじゃないやつ)。2011年にMacBook Pro、14年にいまでも使っている二台目のMacBook Proを買いました。

モバイル・ディヴァイスであるiPhoneを買ったのはかなり遅くて2017年の6月1日。だからスマートフォンが普及しはじめてから10年近くが経っていましたよねえ。ぼくは電話や電話機が大嫌いで、こっちの事情も考慮せず日常生活にズケズケあがりこんでくるでしょう、電話って。寝ていてもお風呂に入っていてもかかってくるときはかかってくるわけで。

それしか通信手段がなかった時代はあきらめていましたが、いまやメールやSNSのメッセージ機能があるだろう!と。だからそんなに大嫌いな電話機を、ましてや常備携帯するなんてカンガエラレ〜イ!と思っていて、そもそもガラケーも持ったことすらなかったんですよ。

ところが時代の変化というか、電話機というよりモバイル・コンピューターとして、スマホじゃないとできないとか、そっちのほうが便利カンタンにできるとか、具体的にはInstagramをやりたかったんですよね。Instagramは(基本的には)スマホやタブレットのアプリからしか投稿できないですからね。

それで、カメラ機のたぐいもぼくはそれまでの人生で一度も持ったことがなかったんですけど、iPhone買って一気に携帯電話もカメラも(もちろんモバイル・コンピューターも)なにもかもが一堂にiPhoneのなかに揃うこととなり、これでまた人生が激変しましたね。最初に買ったのはiPhone 7でした。

ぼくのデジタル人生は、はじめてワープロ機を買った1986年、はじめてMacを買った1995年、はじめてiPhoneを買った2017年と、三回の劇変を経験しているわけなんです。

(written 2020.9.6)

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hisashi toshima 戸嶋 久
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Written by hisashi toshima 戸嶋 久

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